大嶽秀夫(2007)を半分くらいまで読んだのだが、<60年安保時における社会党=総評の穏健路線は、当時の労使関係の動向を考えれば、ある程度はやむを得なかった>との理解が示されており、「なるほどそういう理解の示し方もあるよな」と興味深く読んだ。この本の枠組については、根本的な疑念を抱きつつ読み進めているのだが、それはまた読了してから。
近所の図書館で、リサイクル本『伊藤律 回想録』(文芸春秋、1993)を貰ってくる。ざっと読んでみたが、党内の人間関係が錯綜しすぎていて内容が掴めない。徳田球一は付き合いづらいが一徹な人物、野坂参三は意地汚い権威主義者、という部分は強調されている。「ソビエトに良い顔を見せたい野坂が、ゾルゲ事件でスパイ説のあった伊藤律を利用し、アイツはGHQ内のアメリカ人と通じていましたよ、と、自らの過去を清算すべく売り渡した」といったことか?
最近、このブログの人気が凋落している気が…。上から目線の語り口が、読者の心を離れさせているのかも。一人称を「ぼく」とかに変えてみようかな?