『友だち地獄』

『友だち地獄』を読む。高野悦子南条あやの自殺が比較され、次のように述べられるのは興味深い。

(二人とも「生の実感を希求してのふるまいである」点で共通するが)…高野が、生の感触を媒介にしてその背後にある自己を確認しようと自らの身体を傷つけていたのに対し、南条は、生への刺激を直接的に自己へ与えようと自らの身体を傷つけている。身体を超越し支配する主体としての高野の自己像と、身体そのものに溶け込んで拡散している南条の自己像。両者の生きづらさを大きく隔てるこのギャップを見落とすべきではない。(75)

現代の若者は、自己肯定感の低さのせいで「優しい関係」に強迫的にコミットしている(KY現象!)というのは事実であるように思える。個人的には〈「剛直な個人」に代わる「柔らかい個人」プラン〉(山崎正和)の実現を構想するしかないと思うのだが、しかしそれを阻む条件は何なのか。この点を考える必要がある。