昭和の日

昭和の日。昼頃、NHKで「昭和天皇崩御した日」の特集をやっていた。戦争体験者の話で多く聞かれたのは、「昭和天皇が戦争責任について謝罪していたら、せめて納得できたのだが…」といった意見。
この意見からうかがえるのは、戦後日本のナショナル・アイデンティティーの混乱は、トラウマ的なものだったのだな、ということだ。「戦後」という時間認識がこれほどまでに長引いているのも、この「混乱」がわかりやすい形で収束されなかったことに原因がある。*1
連合国軍(アメリカ)を打ち破るべく死んでいった戦死者たちの存在は、戦後、「天皇」に「アメリカ」が代入されたことで、行き場を失った。その恨みは、「親米愛国」というレジームのもとでは、解消される術をもたなかった。ここに起因する「混乱」が、「昭和天皇が謝罪していたら…」との意見の形で表れている。
この「混乱」は、分かりにくい形で三島由紀夫が表現し、分かりやすい形では右派社会党が表現した、というのが僕の考えなのだが、どうでしょうか?

*1:例えば、小泉や安倍は、靖国神社に参拝する一方で、「対米従属」路線(=戦後レジーム)を露骨に取っていた。この解離的行動の中にも「戦後ナショナル・アイデンティティーの混乱」を端的に見てとれる。