ジャ・ジャンクー『長江哀歌』(2006)

(2006年 中国 113分)監督・脚本 ジャ・ジャンクー 撮影 ユー・リクウァイ 出演 チャオ・タオ/ハン・サンミン/ワン・ホンウェイ/リー・チュウビン/マー・リーチェン
中国の古都、奉節(フォンジェ)。二千年の歴史を持つ大河・長江の景勝の地である三峡は今、ダム建設により永遠に返らぬものになろうとしている。炭鉱夫のハン・サンミンは、16年前に別れた妻子を探すため山西省からやってきた。妻が昔住んでいた場所に行ってみるが、そこはすでに三峡ダム建設のために水の底に沈んでいた。サンミンは三峡の街、奉節(フォンジェ)に部屋を借り妻子を探すことに。/そしてもうひとり、愛するひとを探す人物がいる。2年間音信不通の夫を探しに山西省からやってきたシェン・ホン。夫グォ・ビンが働いているはずの工場へ行ってみるが、夫の姿はなく荷物だけが残っていた。シェン・ホンもまた、奉節に留まり夫を探し始める。……(早稲田松竹HP)

破壊につぐ、破壊。都市は巨大な廃墟と化し、環境破壊も半端な規模ではない。立ち退きを迫られた人々の生活も破壊され、解体作業の事故でも労働者がたくさん死んでいく。
しかし「これだけ破壊されるともはや感心するしかない」というのが大陸的スケール感。立ち退きで文句言っている中国人を見ても「そんだけ元気ならアンタは大丈夫だよ」としか思えず、一人の労働者が死んでも、貧困層の労働者などいくらでも代わりが効くのが冷徹な現実。
都市を廃墟化し水没させるという「圧倒的な破壊への意思」の前に、「いくら破壊してもすべては不変」という「逆説的な崇高さ」が浮かび上がる(「廃墟」がロマン主義的主題であることの理由)。すべて(都市、環境、人間…)の「未来」が奪われる場所であっても、中国人(四川人)だけは前を向いてしたたかに生きる*1アウシュビッツもビックリの人間的不滅。

*1:「ここには「今」はない。みんな過去を思い出しながら生きているのさ」(大意)と作中の若者が言っていたが、「それでも未来にむけて今を生きる人々がいるのだ」というのがこの作品のテーマ。