『普遍論争』メモ

高田康成氏の書評「幻の影を慕いて」(『UP』7月号)。山内氏の著書のポイントが、次のように整理・紹介されている。
曰く、ウォルター・バーレーは素朴な実在論者ではないし、オッカムも唯名論者かどうかあやしく、アベラールは概念論者であるどころか「唯名論の方に近い」。普遍論争はアベラールの「事態」概念を軸に捉えられるべきであり(「事態は普遍ではなく、名称が普遍となるための共通原因ということになります。事態は、普遍を成立させるための原因であって、それ自体は普遍ではないのです」)、それを踏まえて問題は次のように理解されるべきである。山内氏の著書を引けば、

普遍論争とは<普遍は存在するか>とか、<普遍はものであるか>とか、<普遍は個物の前にあるのか、中にあるのか、後にあるのか>ということではなくて、<事態、いやむしろ事態概念を継承するものがいかなるものなのか>、<事態の存在性格はどのようなものなのか>をめぐるものになりそうです。(五六頁)

「普遍論争はすなわち論理学と存在論の交錯する場ということになるだろう」と高田氏は整理しつつ、これが「初期ハイデガーの構想に通じる」と「ナトルプ報告」が引用されている(『アリストテレス現象学的解釈』)。加えて、アリストテレス解釈をめぐる思想史研究のなかで「アラブ・イスラーム思想の介在」に注目できるとして、ルーベンスタイン『中世の覚醒』が推薦されている。