ロベール・ブレッソン『バルタザールどこへ行く』(1964)

AU HASARD BALTHAZAR (95分・35mm・白黒)1970年5月日本公開(ATG共同配給)。飼い主をはじめ周囲の人間たちの変化を常に見守り、ときにはその犠牲ともなるロバのバルタザール。淡々とした心情表現ゆえにかえって胸を打つ、異色の監督ブレッソンの傑作。撮影は、1950年代に短篇製作でアラン・レネクリス・マルケルと組み、ベッケルの『穴』(1960年)にも携わったクロケが担当。
’64(フランス=スウェーデン)(監)(脚)ロベール・ブレッソン(撮)ギラン・クロケ(美)ピエール・シャルボニエ(音)フランツ・シューベルト、ジャン・ウィーネル(出)アンヌ・ウィアゼムスキー、フランソワ・ラファルジュ、フィリップ・アスラン、ヴァルテル・グリーン、ナタリー・ジョワイヨー

ブレッソン的な主題」とは、中条省平によると、「むだな要素を徹底的にそぎおとす禁欲的な画面作り、日常生活のディテールの執拗な凝視、観客の生理に食いこむような誇張された音の演出などのスタイル上の特徴のほか、神の恩寵を重視するジャンセニスム的な厳しいキリスト教信仰、運命と人間の自由意思の葛藤、罪と罰、善意と悪意、監禁と自由…」(『フランス映画史の誘惑』:150)なのだそうだが、これには深く頷くことができる。
ブレッソンの人間を見つめる目はとても厳しい。尻尾に火がつけられたり、虐待に近い酷使が行われたり、といったロバに対する所業は、堕落し、悪に染まる人間たちの運命をアレゴリカルに象徴している。しかしこれは人間存在への「告発」といったものとは違う。「運命(神の意図)は絶対に不可知であるがゆえに逆に「すべては恩寵である」……という考えかた」はこの作品にも妥当しており、「それはいわば極端な汎神論の逆説的なあらわれ」、なのである(153)。ラスト、バルタザールは羊の群れのなかで静かに息を引き取る。不思議な感動がある。