電車に乗っていたら、桜蔭高校と思しき女子高生たちと普通のパープリンの女子高生たちとが並んでいたのだが、何というか、身体レベルで資本主義の浸透度が違ってるよな、と圧倒される思いがした。学校は国家のイデオロギー装置だとかいうのはやっぱり嘘で、3Rこそが消費社会のミクロな権力性からcitoyenを防御するのではないか(なかば冗談)。ちなみに私は菊川怜を見るたびに、「この人は根本的に消費社会との順応性が悪いのではないか?」との疑念を捨て去ることが出来ない(お得意のヘンタイ目線)。
コレ、かっこいい。えらく聴き取りにくい英語だが(とくに最初の方)、自分もあんな風に頭を小刻みに震わせながら、しゃべってみたい(3分20秒あたりと7分40秒あたり)。