一神教の成立・宋の知識人

新宿のブックファーストで買ってきた岡田英弘世界史の誕生』(ちくま文庫)を読むと、アクエンアテンとかモーセにこだわるのは古代妄想だと思えてくる。前11世紀末、パレスティナのベニヤミン部族からサウルが出て、ヘブル人の十二部族を統一、イスラエル王国を建国する。ここで十二部族の同盟の契約を監視すべく選ばれた神がヤハヴェであり、イスラエル人はバアル神、アシラ女神、アシタロテ女神などを信仰する多神教だった。その後、(サウル王、ダビデ・ソロモン王、アッシリア帝国による北部イスラエル王国の滅亡、前627年アッシリア帝国の滅亡に続き、)ユダ王国のヨシアがイスラエルを統一し、前621年、エルサレムのヤハヴェ神殿を修復時、「申命記」の写本が発見される。ここに「ヤハヴェ以外の神々を信仰しない」という「契約」の新解釈が見出され、ヨシア王による一神教王国化が始まった。ということらしい。
ちなみに、紀元前1世紀末のドミティアヌス治世下、「ヨハネの黙示録」がゾロアスター教の影響を受け「二元論」「千年王国」思想を説き、これがヘーロドトスの「ヨーロッパvsアジア」図式と一致することで、西洋の歴史観が形成された、というのが岡田氏の主張。
なお「焚書坑儒は文字の語用法を固定化する一環だった。中国思想は百家争鳴以降、まったく進歩していない」という岡田氏の主張について以前紹介したが、『宋と中央ユーラシア』(中公文庫)の伊原弘氏執筆部分を読んでみると、よく似た指摘を確認できる。「宋代こそは知識人が全面に躍り出て政治をとった最初の時代」だとしつつ、しかし彼らを本当に知識人と言いうるのかについては疑問がある、と伊原氏は述べる。科挙に必要なテキストは現在の本だと350ページほどにしかすぎず、「たったこれだけの字数の本が中国人の心を支配し、思想を律し続けてきた」(64)のだとすれば、テキスト批判が展開された中世ヨーロッパ思想とは反対に、宋代の知識人に知識の根源を探求する試みや新たな発想の飛躍は乏しかったと見るべきである。「社会を指導したのは、まるで鸚鵡のように本で得た知識を切り売りしつつ官僚になった人びとだった。かれらは、傷を負うのを恐れて物事の本質に立ち入って言及しようとしない。微妙にずれたことをいう。そうした人びとが社会を指導するとどうなるのか。宋代はそのひとつの警鐘となる時代だった」(65−66)。中国の“知識人”は“学習人”でしかなかった、というのが伊原氏の見解。