ETV特集「加藤周一 1968年を語る〜“言葉と戦車”ふたたび〜」
5日死去した評論家・加藤周一さん。1968年パリ五月革命やプラハの春を目撃した。40年前の若者の反乱が今問いかけるものとは…加藤さんのラストメッセージを伝える。
(社会主義も資本主義も同時に批判できた)プラハの春の自由がソ連軍の侵攻で頓挫し、「人間の顔をした社会主義」の可能性が潰えた瞬間、加藤周一はウィーンでこの事件に立ち会っていた。しかし戦車に対抗する言葉の力は、チェコ人の地下放送によって中欧全体へと発信され、それは世界全体へと広がっていく。「68年」のもっとも切実な意味は、たしかにチェコ・スロバキアにあったのだと納得させられる。
ただし、「システム化による人間的意味の喪失」という問題を、加藤は68年の思想運動のなかに読みとり、その本質性を強調するわけだが、しかし私は(何度も言っていることだが)これはズレた問題設定だと思う。20世紀型知識人の限界、というべきか。加藤は全共闘運動のオリジナリティーを「軍産学複合体」という定式に見出しており、それは良いのだけれど、全共闘運動に改めて見出される意義など、やはり極小でしかない、というのが私の理解である。
加藤も言うように、システムによる人間の非人間化・非個性化という歴史的趨勢は、正しく認識されるべき問題ではあるが、システム化のもたらす閉塞感は、素朴なヒューマニズムでは突破することはできない。だから、68年の思想は、過大評価するべきではないと思う。
それにしても、今年の夏の映像は、本当に死の間際といった顔だった。