内省

世渡るたづきというか、生存戦略は真面目に考えないといけないのだが、今日はこの点に関して立派だなと思う人と一緒にいて、この人自体は尊敬できるのだけれど、何というか、食べた物の味がしなかった。
要するに、自分はできそこない人間なので、社会性に乏しいかどうかは分からないけど、無意味なニヒリズムに毒された、偏頗なキャラクターなのである。
ペロポネソス戦争を経て自足性を喪失したポリスを見限って、ヘレニズム期には3つの学派が隆盛したが、キニコス派みたいなルサンチマンは嫌いだけど、自分のなかには、明らかにエピクロス派的な資質がある。社会に背を向けて、自分だけの(あるいは、自分の周囲数十メートルの)幸せに閉じこもる、後ろ向きな考え方。
世俗に背を向けないストア派的な考え方には、エピクロス派的であることの自己嫌悪として、ものすごく惹かれる。じっさい自分はよく「エピキュリアンじゃだめだよ」的な批判をすることがあるのだが、ストア派だって結局、世俗世界に意味を認めない後ろ向きな人たちなのだから、根はまったく変わらないのである。
ところで、オタクのO君の論法に従えば、自分は「可能性のかたまり」みたいな存在である。「あのマンガもこのマンガも読んでない」し、「あのアニメもこのアニメもまだ見ていない」。エピキュリアンとしての未来は、相当明るい。約束されている。生まれたての赤ちゃんみたいなものだ。
そもそもアニメオタクって、エピクロスストア派的生き物なんだと思う。「桜蘭高校ホスト部」のホスト高校生たちは、名門一族の子弟であることの社会的プレッシャーをいったん消去し、非生産的(かつ非世俗的)なホスト部を運営しているが、エピクロス的世界の背後に控える、ストア派アイロニーこそが、このアニメの奥深い魅力の源泉となっている*1
ともあれ、それはどこまで行っても、ポリス(世俗世界)なんて無意味、という感受性をベースにしたものでしかない。ニヒリズムかもしれないし、ストア派くらいまでには能動的になるべきだろうが、でも結局、ポリスの市民にはなれない。ポリス的動物なんじゃなくて、アニメオタク的動物なんだな。
エピクロスには自己嫌悪、ストア派はいいけど、ポリス的市民になるくらいなら、アニメを見ていたい(エピクロスに戻るほうがいい)。アニメは、ストア派アイロニーを描いたものがいい。こう言ってまた自己嫌悪。「ホスト部」は18話まで見た。

*1:ケーキを頬張るハニー先輩を見よ!