陰に籠もって思い悩むのは自分の得意技だが、根幹の部分がどうしようもなく空白といってみても、まったくの空白だと考えるのはナンセンスで、中身がギュウギュウに詰まっていると言い張るには無理があるとしても、せめて2割くらいは目盛りが進んでいると考えるのが、完全撤退がままならない現状においては、合理的かつ戦略的な思考法なのではないかと、うじうじ思考を反転させて思案してみた。こんな具合に、いつも生きているのです。
ユリイカ』の米原万里特集をめくっていると、橋本龍太郎米原が襲われかけた件についての文章があり、真相が突き止められているわけではないが、まあそんな感じのことはあったみたいだ。中国人スパイとの失態を考えても、橋龍はインテリ女を襲うクセがあったようだ。
ところでちょっと前、自分が昆虫少年だったことを思い出したのだが、鉄道少年っていうのはいるけれど、今、昆虫少年って存在するのだろうか。小学生の頃を思い出しても、クラスに昆虫少年はあまりいなかった気がする。ちなみにキミーは、今でも蝶を素手で捕獲できるほどの蝶マニア*1少年だったのだが、自分はキミーに「昆虫にはまるのは人間形成における必須の一段階だ」と言われて育ってきたので、昆虫マニア向けカブトムシ・クワガタ図鑑を買ってきて、各標本の原産地をすべて暗記してみたり、夏に森林地帯をドライブするときなどは、樹液の匂いを察知し、しばしばその場所を言い当てたりしていた。リンゴの木箱を三箱分改造して、100〜200匹ほど飼育もしていた。今に限らずとも、そういう子供って、どのくらいいた(いる)んだろうか、とふと思った。

*1:蝶マニアは捕獲するとすぐ標本にしてしまうので、自分にはその残酷さが受け入れられなかったわけだが。