本多猪四郎『ゴジラ』(1954)

(96分・35mm・白黒)原水爆実験の影響で大戸島の伝説の怪獣ゴジラが復活し、東京を蹂躙する。「核の恐怖」をテーマとする本作は、円谷のリアルな特撮に演出されながら、戦後日本映画に怪獣映画という新たなジャンルを築いた。本作の成功により、東宝に特撮用スタジオが設置された。
'54(東宝)(監)(脚)本多猪四郎(原)香山滋(脚)村田武雄(撮)玉井正夫美術監督北猛夫(美)中古智(音)伊福部昭(特殊技術)圓谷英二(出)宝田明河内桃子志村喬平田昭彦村上冬樹堺左千夫菅井きん(FC)

第2作『ゴジラの逆襲』の出来の悪さからは想像もつかない傑作。人々の恐怖心の描写がホラー映画並みの見事さで、黒々としたゴジラからは、全身に漲る怒りが伝わってくる(白黒映像の濃淡はスタンバーグ仕込みであるらしい)。船の転覆、大戸島の大災害など、ゴジラがなかなか現れない設定も効果的だった。国鉄の電車に噛みつき、送電線を破壊するゴジラが、見上げるように撮影されていて、素晴らしかった。
戦争の傷跡が生々しく反映されていることは言うまでもない。科学が水爆を生み、その科学を悪用する人間の心理も、大きなテーマになっている(oxygen destroyer)。しかし、木下恵介二十四の瞳』にも感じられたことだが、日本人の戦争観にはあらためて特異なものを感じずにはいられなかった。
大魔神』も同様であるが、ゴジラは、人間の心の汚さ(あるいは「気構えの不備」)に対する、神罰の意味を持っている(大戸島の神話世界においてゴジラは伝説的存在として伝承されている)。このことは日本人の戦争観の内実を教えてくれる。つまり、日本人にとって戦争は「精神の正しさ」との関連で遂行されており、精神の正しさに欠けていたならば、破滅的災厄すらも甘んじて受けねばならない性質のものなのである。その意味で、竹槍戦法は戦略的不合理以上の意味をもっているし、「敗戦」の受け止め方にもそれは明瞭に表れている。戦後の平和思想すらも、そのような意味世界の延長線上で構築されていたのだろうと思う。