プロタゴラス相対主義を信奉する人間を前にして、ギャフンと言わせることはかなりやっかいな仕事だが、ギリシア的伝統においては「根拠への遡及」は見られても、「世界の外部」への感受性は存在しない。プロタゴラス相対主義は、徹底性を欠いている。他方、時間も空間も存在しない「無」から創造される世界は、無根拠性へと開かれており、ヘブライ的伝統はこの無根拠性から(なんと!)倫理思想を導いた。自己充足から脱した神は、他者としての人間を求め、このような人間理解が超越性(絶対的他者)と愛の問題を現出させる。『バベル』とか『エル・スール』とかはこういうヘブライ的伝統に即して理解できる、というより、ヘブライ的伝統は『バベル』や『エル・スール』を引照することでよく分かる、などと、酔っぱらいながら考えてみる。間違っているかもしれない。てへ。