メモ

藤森照信『人類と建築の歴史』(ちくまプリマー新書)。
「…人類ははじめて木を自由に扱えるようになった。考古学者も気づいていないかもしれないが、磨製石器は木を相手にした時にしか、たいして役に立たない道具なのである」(24-25)。磨製石器は巨木を切り倒せるので、丸木舟、橋、杭などが作られた。「農耕の開始→食糧供給の大量化・安定化→人口増大→森林開発と農地拡大」という流れが大切で、これが「新石器時代」の本質的意味になっている。

農耕・牧畜以前、人類は森に入っても森の恵みとして獲物を得るだけだから、森は自然のままにあり、樹齢千年を越すような巨木がおい茂っていたが、その森を切り拓こうというのである。でも、農耕・牧畜以前の旧石器時代の石器で木を伐り倒すことはできない。すでに述べたように、旧石器は打製石器だから、骨を砕いたり、獲物を突いたり、木や骨を削ったり皮を切ることには向いていても、立木の幹を伐ることはできない。/そこで役に立ったのが、農業に先行して、木を伐るために発明されていた磨製石器なのである。もし、磨製石器が発明済みでなかったら、農業はあれほどすみやかに地球上に拡大されなかっただろうし、またもし農業の拡大に役に立たなかったら、磨製石器(新石器)が新しい時代の名前になることもなかっただろう。(30)

旧石器時代(250万年前〜)と新石器時代(1万年前〜)の住居の違い。

新石器時代の家は、先行する旧石器時代の仮住いと、どこが具体的にちがうんだろう。円形平面、木の骨組、獣皮や樹皮のカバーといった基本は旧石器時代から続いている。ちがいは充実ぶりで、家族が背を伸ばして寝られるまでに平面は広がり、天井は頭がつかえないほど高くなり、骨組の木は、拾ってきた枝から伐りだした丸太や加工した棒に変わった。(38)

旧石器時代はマンモスの牙とか、死体そのものとかでも家が造られることがあった。
旧石器時代は地母信仰、新石器時代は地母信仰+太陽信仰。播種の時期等を知るために、太陽信仰が始まったと考えられる(ストーン・ヘンジ)。天空の超越的なものへの感受性(スタンディング・ストーン)。
日本の特異性。神社の空間。「樹や石に精霊が宿ることを認めたり、御柱や宇豆柱のような巨木をたてたりと、世界のいわゆる文明国のなかでは異例といわざるをえない」(128)。ヨーロッパにおける地母信仰と太陽信仰の消滅プロセス。ロマネスク教会(12〜13世紀)、ゴシック様式の教会(14〜15世紀)の怪獣たちは、16世紀のルネッサンスで消滅(←ロマネスクとゴシック、合ってる?)。紀元前5世紀以後から、自然宗教を否定する思想が誕生。
歴史主義建築の消滅。アール・ヌーヴォー(生命の相)→チェコキュビズム、イタリア未来派アール・デコ(鉱物の相)→バウハウスのデザイン(数学の相)。建築の歴史の終焉?単一なるものへの回帰?