『保守主義的思考』

Mannheim(1893−1947)を読む。ずばり名著。一度読んだときにはよくわからなかったが、ここのところ私が考えてきたことが洗練されたかたちで、しかも思想家の膨大な引用を付して、ばっちり記述されている。
Mannheimは知識社会学の始祖として知られているが、「保守主義」というのも近代に特有の概念である。彼は、そのことを「伝統主義」との対比で語っている。

伝統主義的行為はほとんど純粋に反応的行為である。保守主義的」行為は意味指向的行為であり、時代により、また歴史的局面を異にするにつれ、さまざまに異なった客観的実質をもち、しかもたえず変化する意味関連に指向するものである。(訳書28)

めっぽう平たく言ってしまうと、「伝統主義」はWeberの語法どおり、意識せずに昨日のことを今日も反復するような態度のこと。一方、「保守主義」というのは、伝統などといったものがもはや存在しないというアイロニーのうえに、反省的にありうべき反復を志向する態度のこと。

……社会的存在の近代的構造形式が単に古い構造形式の傍らに進出するだけでなく、それを自分の領域にひきいれ、改変すればするほど、それだけ保守主義的体験の原初形態は消滅してゆく。古い生活形式の保持は、この古い生活芽からする素朴な生活に代わって、反省の次元、「想起の次元」へ移る。保守主義的体験は、さもなければ原初的生活体験としてはもはや失われたであろう、かの世界に対する立場を反省と方法的統御との次元へ高めることによって、いわばみずからを救済する。(88−89)

この後、次のように続く。「伝統による直接的体験が消滅し始めたこの段階においてはじめて、人は歴史の本質を反省的に発見し、同時に張りつめた強さでもって、世界と環境とに対する古い根本的態度をなんとかして救済すべく、ひとつの思考方法をつくりあげたのである。」
第3章では、保守主義的思考が取る形態のパターンがいくつか示されている。それらはたとえば、抽象的観念よりも具体的なものに執着する態度であったり、当為ではなく存在に寄りそう思考であったり、歴史的時間を直線的に把握することを拒否することであったり(などなど)、する。保守主義は土地所有にこだわる、なんていうのも。
いずれも味わい深いが、進歩主義との対比に関する次の記述に注目せよ。「進歩主義的行為は可能的なものの意識によって生き、体系的な可能性をとらえて、与えられた直接的なものを超越する」(47)。一方、

保守主義的改革主義の本領は、個々の事実を他の事実によって交換(代替)すること(改良)にある。進歩主義的改革主義は、好ましからざる事実に対して、このような事実を可能にさせている世界全体を改造して、この事実を除去しようとする傾向をもつ。ここから、進歩主義者の体系化への傾向、「保守主義者」の個々の事例への傾向が理解できる

引用していると長くなりすぎるので、あとは要点だけ。フランス革命に象徴される主知主義的な世界理解の反対物として、保守主義は生まれるので、この思想、「自由」とか「平等」とかには懐疑的である。なんとなくDurkheimを想起してしまう。
あとMannheimの言うとおり、やはりこの思想はドイツの後進性に根ざしたものである。Mannheimによると、やっと1848年革命くらいで、ドイツはフランスに追いついたという。で、ヘーゲルの引用がやたら多いんだが、ドイツのいわば「歴史主義」的な思想的土壌が、近代とのアマルガムというか、ロマン主義的な伝統のなかで、近代を超えるいわゆるポストモダン思想を生み出す要因になったと考えられる(モダンを屈折した形で受け入れるため、モダンを越える契機がそこに生まれるということ)。ハイネはロマン主義を批判しつつ、きわめてロマン主義的だったらしい。もちろん、マルクスの先進性もこれに関係する。マルクスポストモダン的解釈については、アルチュセールとか廣松渉とかを参照すればよい。