村上泰亮『新中間大衆の時代』

これ以上長くなると日記でもなんでもなくなるが、サッカーもバーレーンに勝ったことだし、村上泰亮(やすすけ、1931年生まれ)『新中間大衆の時代』(1984→1986)の感想。
あとがきに整理されているように、この本のテーマは四つ。①戦後日本企業の特性と産業政策の肯定的評価、②中流階級とも大衆社会ともつかぬ「新中間大衆」現象の分析、③変動相場制批判を中心とした、現在の世界経済システムの問題点の分析、④新先端技術の登場を考慮にいれた資本主義の長期動学の素描。(cf.367)
経済のことは結局わからない。曰く、「漸減的長期費用曲線」を実現するような経済的条件が、日本的経営という文化的条件と相まって、日本の高度成長を支えた……???「フィリップス曲線」仮説によると、名目賃金の上昇が、失業率低下を抑制させる……???
しかしこの本、20年前の本にもかかわらず、新発見に満ちている。たとえば、石油危機が日本に円安をもたらしたことの経済的意味。表面的な経済的条件の悪化にもかかわらず、国際的な輸出競争力の維持に貢献したのだそうだ。なるほど。
また第5章「保守支配の構造」では、1970年代なかば以降、日本の保守勢力の復活がなぜ実現したのか、という問題が分析されている。村上によると、新中間大衆は産業社会に取り込まれてしまっている点で生活のために行政権力と利害を共有せざるをえない(「保身性」)のだが、一方、産業社会が即時的価値の要求にそぐわない点(公害、疎外…)では「批判性」を持つ。保守政権は、新中間大衆のこのような背反する欲求をふまえつつ、かれらの利益志向に訴えかける政策へとシフトしたのである。また後発近代型国家の場合、移入された市場社会原理への信頼が希薄であることから、反対政党が原理的反対の立場を取る傾向にある。このことも、政権交代のための基盤が脆弱な理由となり、保守勢力の復活に寄与したという。
なお第4章で分析されているように、「新中間大衆」という新しい大衆性が、経済次元、政治次元、文化的次元のいずれでも非一貫的な序列性を帯びているとの言明は、もはや周知の事実。
社会科学的な予測が鋭いのも驚き。とくに政権政党新自由主義政策へのシフト(小泉政権も長いですな)、また知識産業がメインになることによる階層格差拡大の予測など(いわゆるニューエコノミー)。
最後のところで議論されている、19世紀システムから20世紀システムへの歴史的変遷の素描も骨太かつ説得的。