『紙つぶて』
谷沢永一『紙つぶて(完全版)』(PHP文庫)をゲット。以前から欲しかった本であり、読み耽る。読み応えが有り過ぎる位だが、相変わらず「進歩的文化人」への批判が痛烈だ、と感じた。
丸山真男は『後衛の位置から』(未来社)で「進歩的文化人」の弁護論を展開し、現今の「進歩的文化人にたいする嘲弄が、ほとんどの場合、彼等の民主主義・平和主義についての言説が空虚な観念を弄んでいるだけ」と力説しているものの、「むしろ攻撃のヒステリックな激しさ自体」逆の意味を示し、「進歩的文化人」が「現実の状況になにがしかの影響を与えていることの証拠」だと強調する。「空虚」であるとの「攻撃」を受けさえすれば、即ち「空虚」ではないという確かな「証拠」になるそうな。空論家は空論家と罵られた途端に空論家でなくなるとの、魔術的な擦り替え論理は霊験あらたかに活用されよう。(517−518)
この悪口の切れ味といったら、途轍もない。とはいえ、私としては、丸山が近代主義者として振る舞ったパトスの方を感じたいのも事実。勿論、「戦後民主主義の虚妄に賭け」るといったパフォーマティブな思想的実践が、谷沢の批判を生む余地を生んだのは確かであり、ちっとも利口にはならなかった大衆を啓蒙していたことの学問的意義については、今更ながらに問われるのだが。谷沢の共産主義に対する個人史的憎悪は別にしても。