『ドキュメント 平成革新官僚』

さて、そのドトールで読んでいたのが、宮崎哲弥・小野展克『ドキュメント 平成革新官僚』(中公新書ラクレ)である。この本の大きな主張は、次のとおり。

行政改革をすすめる際、「民間の知恵を借りる」という発想をよく聞く。その必要性は否定しない。/だがまずその前に、中央省庁の志ある三十代、四十代の知恵や経験が行政運営に生かせる仕組みを整えるべきなのではないか。(24)

本書を読むと、1990年代以降の流れが、きわめて大きな転換に位置していることがわかる。野口悠紀雄の言うように、戦中の国家総動員体制に淵源する「1940年体制」は、今日にいたるまで戦後日本の基調であり続けてきた。そして、「株主の権利制限、年功序列の賃金体系、企業別労働組合、銀行融資を中心とした間接金融主導の資金調達体制……」(17)といった戦後的制度は、バブル崩壊までの日本社会の発展にとって、重要な意味をもってきた。
ところが、官僚に、法的支配の域外で、行政指導による業界への支配力をあたえることを可能にしたこのシステムは、いまや機能不全を起している。高度成長が終焉し、バブル経済が崩壊、市場化がますます進展していくなかで、法的、市場的な透明性にのっとった振る舞いが、ますます要求されるようになっているのである。
だがもちろん、官僚は習性として、みずからが作り上げてきた政策内容を否定することを嫌う。とくに、責任のある立場にいる者ほど、この傾向は強くなる。そこで、幹部と志操堅固な若手との間で、「世代間闘争」が生じることになるのだが、これこそが、本書のテーマである。

指定職(一般に局次長、部長以上)クラスにおいては民間よりも、かえって守旧的、保守的になり、課長以下の中堅・若手クラスのなかには民間に触発され、よりアグレッシヴな改革動機を持つ者が少なからず出てきた。(9)

そうした改革の兆候は、本書で展開されているとおり。以下では、文科省の話だけしておこう。
前の日記でも述べたと思うが、文科大臣みずからが批判している「ゆとり教育」は、臨教審にもとづく路線のなかで決定された政策である。寺脇研が、以下のように正論を述べている。

新学習指導要領は、あくまでミニマム・リクワイアメント。教育改革はあくまで自由化であり、構造改革なんです。これは土光臨調の中曾根行革が始まって以来の、『官から民へ』という規制緩和を推進する行政の流れの中にある。あらゆる官庁がその波に揉まれつつやってきているんです。しかし教育の場合は、舵を短期間に切り替えるというわけにはなかなかいきません。時間が掛かるんです。今回は、教育界が、自由化、規制緩和を旨とする構造改革を、明瞭に旗印として出したんです。ずいぶん議論が歪んでしまったと思うけれども、学力低下論をいう方の大半は、同時に『横並び平等はよくない』とおっしゃっているわけですね。今回、横並び平等をはっきりやめるとしているのに、何でこんなに批判されなきゃいけないのかと思うのですよ(208)

では、「何でこんなに批判され」るのか?その理由は、三つあると思われる。文部省内の抵抗勢力、マスコミの報道=世論、現場の無知。
まずは、文科省内の抵抗勢力について。そもそも学習指導要領はずっと「最低基準」だったはずなのだが、教科書の検定意見などにより、文科省は運用レベルで、「学習指導要領を超える内容」を禁止してきた。これによって、「教科書―授業―入試」の整合性を担保してきたのである。しかし、2004年4月には*1、こうした運用の取りやめが決定される。ところが、それにもかかわらず、「最低基準の明言」への抵抗はきわめて強いものとして存在したのだという。守旧派官僚のなかからは、「教科書―授業―入試」の不整合を問題視する意見が相次いだ。これについて、あるミドルランクの官僚はこう語っている。

一種のノスタルジーですかね。官僚というのは常に権限を手放すのはいやなものなんです。中央のエリート官僚が、入試や教科書、授業内容まですべて管理して、整然と取り仕切っているという構図に少しでも引き戻したいという思いがまだ根強いのですよ。(202)

こうしたなか、寺脇研が押し切るようにして「最低基準」を既定路線とした。別の官僚によれば、その事情は以下のとおりである。

新指導要領を最低基準と明確に位置付けるには、省内でも多少抵抗があったんです。しかし、寺脇さんが勝手に先鞭をつけちゃった。そして、これは自由化なんだという説明に『学力低下』批判をかわす明確な道筋があったんです。大臣も事務次官も結局は、この論理を踏襲するしかなかったし、いわば寺脇さんに救われたともいえるんです(206)

こういう「豪腕」をふるうところに、寺脇研が、出世に遅れ、左遷される理由があったのだろう。ともあれ、文科省内でのこのような抵抗があるために、新学習指導要領などをめぐっても、対外的な説明不足がはなはだしくなり、世論や教育関係者の批判をあびることになったのだと思われる。
だが一方、文科官僚にも、抵抗するだけの相応の理由があるように思う。それは、マスコミの報道姿勢と、世論の問題とに関わる。
そもそも教育問題は、世論の食いつきがよい話題であるため、何かと政治家やマスコミなどの批判にさらされがちである。また、教育制度の変更をおこなっても、成果が見えるまで時間がかかるので、いきおい、やらずもがなということになりがちである。「文科省の官僚は派手な政策の打ち上げや、目立った言動を避ける傾向が強い」(211)というが、それは、マスコミなどがことさら騒ぎ立てることにもよっているのではないだろうか。これが、「ゆとり教育」が不評である第二の理由。
最後に、第三の理由。現場の混乱という問題であるが、個人的には、なぜいちいち混乱するのか不思議でならない。制度理念からすると、文科省のやれることというのは、きわめて限定されていて、教育委員会の裁量に委ねられているはずなのである。ところが、たとえば教科書検定などの運用をめぐっても、その「運用」を絶対的なものと考えてしまう傾向が現場にはある。たとえば、遠山元文科大臣の「学びのすすめ」だって、「すすめ」なんだから、命令ではないはずだ。ここらへんのことを、教育委員会や現場は理解していないから、混乱しているのではないだろうかと思う。それとも、いわく言いがたい強制的な雰囲気があったりするのだろうか。ここらあたりのメカニズムは、まったくはっきりしないので、どうにかして知りたいと思う。
いずれにしても、私見によれば、「ゆとり教育」をめぐる議論において、「正論として語られている文科省の立場」は、きわめて正しい。現在の公教育の問題をきちんと把握したならば、個々の創意工夫を生かした多様化、裁量の自由化、という方向性はきわめて妥当なのである。教育学者は軒並み「新自由主義」などという批判を行なっているが、これは形をかえた「左翼的批判」、いわば「ビジョンなき反対表明」にすぎない。「教育改革論よりも実状の把握が先」などと、当たり前のことを言っている教育社会学者も、新しいビジョンを語る必要性を不当に少なく見積もっている点では、同断であろう。要は、さまざまに自由化・規制緩和されたとき、それにたいして市民レベルでどのような責任主体が生まれるかが、もっとも本質的な課題なのだ。つまり、ここで新たな「公共性」をどのように構想していけるかということが、もっとも重要な課題なのである。

*1:小中学校での新学習指導要領の実施、学習内容の三割削減、完全週五日制の導入、文部官僚いわく「二〇〇二年四月が、百年に一度の教育行政の転換点だったことが、徐々に理解されていくと思う」(206)