『宗教と資本主義の興隆』(1926)

トーニー著、岩波文庫。上巻だけざっと読んだのだが、たぶんこれは名著だと思う。Weberは比較宗教社会ガク的観点から、なぜ西欧にだけ資本主義が誕生したのか、という問いを追究したけれど、それはプロテスタンティズムと資本主義の関係性を総体として解明したものでは、まったくない。プロテスタンティズムから逆説的なかたちで近代資本主義は生まれた、というテーゼは、実は、資本主義へとつながる経済的発展を、宗教的教義がどのように後追い的に正当化したのか、という論点を脱落させてしまってもいるのだ。トーニーは、16世紀から17世紀にいたる200年の歴史的素描において、以下のような問題関心を堅持している。

 ……経済上の急進主義と宗教上の急進主義とのあいだには一種の関係があるのだ、ということは、直接それをみていたひとびとにとっては、日常茶飯なことがらに過ぎなかったのである。…
 もちろん、この両者のあいだの関係がどれだけ適確に把握されていたかということは、関係の所在とは別の問題である。その関係には、明らかに、二つの側面がある。今日では理解しがたいほどに、かつて宗教はひとびとの社会観に影響を及ぼしたし、また経済的、社会的な変化は強力に宗教に働きかけた。Weberは特殊な関心をもっていたので、このうち第一の点を強調したのであって、かれとしては無理からぬことであった。かれはそこに薀蓄を傾け、洞察力を注いで、その点を強調したのであり、それはまさに賞賛に値する。しかも、わたくし自身のように、ある点ではかれの結論とあえて意見を異にするものですら、賞賛を与えざるをえなくなるのである。第二の点に関しては、Weberは通りすがりに触れたにすぎない。Weberは宗教改革がどの程度まで社会的必要に対応して生まれたかを尋ねることをしなかった。いいかえれば、かれは宗教的心性を異常な洞察力でもって分析したけれども、その心性そのものの原因も、またその結果も、探究することはしなかった……(22−24)

まあ、そういうことです。ルターが単純な激情家のように書かれていたり、後期カルバン主義の形骸化について指摘されているところなんかは、ふーん、と納得した。