『法学史』

ドイツ法学(村上先生担当分)のところを中心に読んでみたが、面白い。ローマ法とゲルマン法の二大対立があり、ドイツ法学は基本的に15世紀後半以来ローマ法を「包括的継受」して進展してきたわけであるが、とりわけ興味深かったのは以下のような整理である。
18世紀末まで、ローマ法は「書かれた理性」としての権威を持ちつづけたが、それは当為と存在が区別されない「アリストテレス的・旧ヨーロッパ的な形而上学および実践哲学の伝統」のなかで受容されていたにすぎないものだった。

しかし、このような伝統が18世紀末まで維持されたにもかかわらず、それと並行して、この伝統を克服すべきものとしての自然法論が展開されるのである(126)。

その萌芽は、中世的普遍世界(国家教会制)が叙任権闘争によって崩壊しはじめる地点において求められる。そして中世以降になると、世俗世界の内部にキリスト教的な二元論的世界観が持ち込まれ、これが自然法論の展開へとつながったという。

……中世中期以降教会と世俗世界との区別が明白になるにつれて、世俗秩序の独自性が承認される反面、自然法はもはや実定的秩序に内在するものではなく、世俗の実定的秩序から区別されたキリスト教的正義の法にほかならない、と考えられるようになる。(127)

このような考え方は、16世紀スペインの後期スコラ哲学のなかで深められ、さらに後には法学者による自然権論が論じられるようになった。

このように、実定的秩序に対置された自然法が普遍的人間的正義としての性格を帯びるに至った結果、それはしだいに神学者の手を離れ、法学者によって扱われるようになる。この傾向は、宗教改革の時代における宗派の対立によってさらに強められ、やがてオランダのフーゴー・グロティウス(1583−1645)が、宗派を超えたキリスト教人文主義の立場から、人間の本性を出発点とする自然法の体系を示すに至った。(128)

悲惨な宗教戦争が「人間の本性」という観念に影響をあたえた、という命題の背景には、以上のような歴史的事情があったわけだ(この命題自体、さらに検証すべきだが)。
さて、こうした「人間の本性」の議論は、カントによって「経験的・歴史的制約を免れた抽象概念」(たとえば「自由意志」)にまで鍛え上げられ、またそのような自然法的前提をどのように位置づけるかという問題をめぐって(歴史主義VS「普遍主義」?)、ドイツの法学論争は進展していくことになる。その後のことは、省略。