『法と社会』

この分野については、初歩的知識すら全く欠如しているので、最近ちょくちょく勉強している。本書は、碧海先生による初心者向け入門書。しかし、不思議な世界だ。たとえば――

十九世紀の前半に活躍したドイツの法学者サヴィニー(1779−1861)は、啓蒙時代の合理主義的自然法論に反対し、法というものは「民族精神」の自然な発露であって、決して立法というような人為的な手続きによって「つくられる」ものではない、ということを力説した。かれによれば、一民族の法は、その言語と同じように、沈黙のうちにはたらく民族精神の作用によって、いわば自然発生的に「生成する」ものである、というのである。(85)

しかし、法はたとえば外国法を「継受」して発展することもあるので、このような解釈には無理がある。またサー・ヘンリー・メインという人は、法改革の歴史的あり方に「擬制」と「衡平」(または自然法)があることを主張した。たとえばローマにおける「万民法」は、事実上の改廃や「法務官法」による修正(=衡平)によって、ポエニ戦争による版図の拡大に適応した法体系として生み出されている。この「衡平」は、征服王ウイリアム以来のイギリスにおいても、国王裁判所の判例に基づくコモンロー(普通法)を、大法官の令状発給によって改変するというかたちで見られたことである。つまり、法は社会的必要に対応するのである。
なのに、十九世紀のドイツ私法学の祖たるサヴィニーは、法解釈学の任務を「概念による計算」だと規定し、形式論理的な推論による法の体系化を進めたのである。このような大陸法学の発展が、いかなる背景要因によって導かれたかという理由は失念したが、いずれにせよヴィントシャイト(1817−1892)などは『パンデクテン法教科書』という名著を著し、この影響は日本の民法典にも及んだ(末弘教授は後に批判したらしい)。フランスでも近代法典の解釈というかたちで同じ動きが見られた(「構築」ではなく「解釈」だったのは、フランスの近代法典がすでに非常に整備されていたから)。
これらを「概念法学」として斬って捨てたのが、イエリングである。ここから「自由法論」の流れが生まれ、シャカイ学的に法学をとらえる学説が生まれるようになった。あとは、省略。