ローマ帝国

大土地所有制開始以前のローマでは、キヴィタスにおいてポリスと類似の政治観念が見られた。しかし農奴が出現し、自然経済化が進展し、また私兵傭兵が一般化すると、それは立ち行かなくなる。そこで後期ストアの賢人のなかには、悲劇の人が続出するわけであるが……

ギリシアから捕まえられてきたポリュビオスは、歴史意識に世界史という観念を持ち込んだが、しかし)歴史の出来事もまた循環するとして、永劫回帰の世界として歴史をみていく見方は、ポリュビオスの場合も変わらない。……歴史は一回性をもつという考え方は、このあと、クリスト教と結びついて出てくるのである。66
ユスティニアヌス帝時に集大成されたのがローマ法であるが、)このローマ法思想と結びついたのが、先に述べたストアの哲学であった。ストア哲学は、ある意味で、それに非常に適した側面をもっていた。というのは、ローマ法は世界帝国という普遍世界の規範として完成された体系であるからである。67
ラテン語の整備者でもあるCicero〔106−43bc〕は)ストア哲学自然法の観念を取り入れ、それによって実定法を批判する。現実に国家の法律であるものを、自然法あるいは抽象的な正義の観念で批判する。
Ciceroは、ポリュビオスと同様、ローマの機構を重視し、執政官・元老院・平民会の間に、……check and balanceの関係を見出して、そこに自由の保障を認め、それによって自然法が優越するような政治制度を維持しようとした。……むしろ折衷的な、ローマの現実に適応した常識的な政治理論を展開したといえる。……しかし、カエサルの独裁が私的暴力支配であるとして、終始これを批判した。72
(外的発展によって国民軍が私兵化し、パンとサーカス専制政治段階=元首制の時代に入ると、)権力者が絶えず争っていて、明日は誰が肯定になるかわからないという、極めて不安定な時期になる……(その中で生まれる思想が、後期ストアと神秘思想としての新Platon主義である)74
(Senecaは内面の安らぎを重視する初期ストアの思想に立ち返り、神の国と人の国を二分する論を展開したが、)Senecaはそこでは、ローマの法学者と違った自然法を考えるようになる。(つまり、自然法は万民法の基礎とは見なされない。)senecaのように現世は悪いという立場に立つと、自然法は逆に理想的な秩序のイメイジと結びつき、実定法としての万民法jus gentiumとの関係は切断される(のである)。75
プロティノスはこんな思想を説いた――)この究極の実在たる一者は、世界と無縁な、その外にあるものではなく、世界に内在するものになる。流出emanatio説とよばれるようにこの世界は究極の実在から流れ出てきたものであるという。(これはAugustinusに引き継がれた思想である。)76