『ひげとちょんまげ』

稲垣浩『ひげとちょんまげ 生きている映画史』(中公文庫)と小林信彦『一少年の観た〈聖戦〉』(ちくま文庫)を読んだ。戦前の映画界の様子がわかって面白い。小林信彦稲垣浩無法松の一生』の内務検閲のエピソードを紹介して、ある内務官僚がそれを「検閲保留」としたのについて(結局、映画会社の都合で自主検閲の措置になってしまうのであるが…)、「物分りがいい、というか、映画のわかる検閲官にぶつかったものである」と書いているが(107)、稲垣の軽妙なエッセイ(「映画をタダで見る工夫」)を読むと、それも当たり前なのではないか、と思った。

映画を見るというよりも、弁士の名調子を聞き、それを暗記しては、活動キチガイの仲間が相寄って、おのおのが好きな弁士の物真似を披露して楽しんだもので、そうした青少年の願いといえば、/なんとかして映画を安く見たい――/なんとかして映画をタダで見たい――/なんとかして映画をたくさん見たい――/だったのであるから無邪気なものである。/映画をたくさん見たいという気持ちを満足させるために、ある者は内務省の検閲官や、税関の官吏を志した者もあった。当時、映画常設館には臨監席というのがあって、官服の警官は自由に常設館にはいれ、その席でゆったりと映画を見ることができた。それで警官になったという人もあった。(36−39)

依田義賢がみずからの出版記念会で、溝口健二声帯模写をしながら次のように挨拶したというエピソードも印象深い。

「――依田君、今夜ここに大ぜいの人が集まって下さったのはキミの出版を祝ってではアリマセンヨ。ミナ溝口健二の人と芸術をしのんで来てくださったのだから、忘れないでクダサイヨ……。そんなふうに溝さんの亡霊が、私の耳もとでささやくのです」
依田君はそう言いながら、会場の正面に飾られた青銅のデスマスクをじっと見た。
「――そう思うと余計(ヨケ)に腹が立って、ナニこのクソおやじメ、と反発したくなるのですが、それにまちがいないのですから仕方ありません。……女房役というものは人の知らぬ苦労のあるもので、私はいっしょに仕事をしておるとき、なんど夢の中で溝口健二を殺したことか……それでも現実には生きとるのですから、かないません。依田君!これシナリオのつもりデスカ。もう一度書きなおしなさい。と言われれば私はまた歯をくいしばって書かンならんのです……」

「依田君の話しぶりは、まことに憎さも憎し、懐かししの感じで、淡々として語りながらも、語りつくせぬ懐かしさがあふれ、そしてその中に作家溝口健二のがめつさや孤独感がよく現れていて、笑って聞くうちにハタとわが胸にこたえるようなものがあった」(190)。
昨日、早稲田の立石書店およびその周辺の店で、佐藤忠男溝口健二の世界』(平凡社ライブラリー)を買ったので、明日はこれを読む予定。ほかには佐藤タクミ『キングの時代』(岩波書店)、小西甚一『日本文学史』(講談社学術文庫)、上&山崎朋子『日本の幼稚園』(ちくま学芸文庫)などを買った。