古沢憲吾『ニッポン無責任野郎』(1962)

今日も突撃、フィルムセンター。

ニッポン無責任野郎(86分・35mm・カラー)
クレイジーキャッツ主演の『ニッポン無責任時代』が予想以上のヒットとなった東宝が、正月映画として急遽製作した続篇。楽器会社の社員を演じた植木等は前作以上に屈託なく暴れ回り、“無責任男”としての頂点とも評される。クレージーキャッツには青島幸男萩原哲晶のコンビによる数々の名曲があるが、ここではテーマ曲「無責任一代男」のほか、新婚旅行のシーンでは「これが男の生きる道」などを披露。
’62(東宝)(監)古沢憲吾(脚)田波靖男松木ひろし(撮)飯村正(美)小川一男(音)宮川泰(出)植木等、団玲子、ハナ肇草笛光子谷啓浦辺粂子、藤山陽子、由利徹犬塚弘桜井センリ安田伸人見明中北千枝子

傑作。上下左右に機敏に移動するカメラワーク、ショットと音楽のテンポ感が絶妙。植木等が天才的な演技を見せている。
一口に「無責任」といっても、それを貫くには知力も要れば反射神経も要る。無責任を貫くための志操の高さが無ければ、ナンセンスも軽薄に堕する。このアイロニーの感覚が確かに窺われるが故の傑作だ。
小林信彦はシリーズ前作『ニッポン無責任時代』に青島幸男の関与があったのではと推測した上で、『日本の喜劇人』において次のように述べている。

すでに人気が落ちていたお姐ちゃんトリオ映画(団玲子、重山規子、中島そのみ)を、<スーダラ男>で色直ししようとした、このB級娯楽映画は、<個人の幸福に関して何の責任ももたぬ体制にたいしては無責任な態度で居直るよりない>というメッセージに(ことに前半が)みちみちていた。東宝のスタッフに、そのような発想があるわけもなく、青島の考え方の影が落ちているような気がする。それは、一歩ふみ出せば、マッカーサー司令部によって温存された天皇の戦争責任と、天皇が責任をとらなかったために始まった、だれにも責任がないフシギな国のあり方へのメスとなったかもしれない。/とにかく、無責任という言葉を、肯定的にうたい上げたのは青島である。『無責任一代男』をはじめ、多くの植木節が映画のなかで歌われるが、Puppeteerは青島幸男だ。(172)

こうした青島の「ピカレスク」的感性に「体技」で応じたのが「役柄とは逆に古風な人柄の植木等」だった。植木は昭和2年生まれ。「彼のように古めかしい人が、ああいうハレンチ、ドライな役をわるのりで演じるのが面白い」と小林は書いている(173)。

『ニッポン無責任時代』(なんとズバリのタイトルであろう!)と『ニッポン無責任野郎』(同年暮の封切)の二作で、植木は無責任人間役の頂点をきわめた。めったに邦画を褒めぬ大島渚が、この二本立てを一回半(つまり、三本分)見た、どうしてあんなに面白いんだろう、と私に語ったが、昭和三十七年は青島の発想と植木の演技(というより体技)の蜜月時代であった。ふたりの人生が幸福にcrossしたのである。(172、強調引用者)

植木はその後、心から納得できる脚本には出会えず、苦しんだのでは、と小林は推測している。青島の感覚的な反射神経が植木の戦中派としての心情と見事に呼応したのが、『無責任』シリーズの二作だったというわけだ*1
昨年暮れに亡くなった青島幸男を思い浮かべつつ。これは『ニッポン無責任時代』も観なければ。

*1:本書では、クレージー・キャッツの草創期、谷啓の〈煮つまった笑い〉が存在したことも強調されている。クレージー・キャッツが置かれていた時代のスピード感に注目させられる。