江藤淳と山川方夫

昨日は久し振りに江藤淳を読み返していたのだが…。

そのうちに私にある転換がおこった。ひと言でいえば、私はある瞬間から死ぬことが汚いことだと突然感じるようになったのである。さりとて人生に意味があるとは依然として思えなかったので、私には逃げ場がなくなり、自分を一個の虚体と化すこと、つまり書くことよりほかなくなった。だがそのとき、死んだ山川方夫が、私が口から出まかせにいった「夏目漱石論」のプランを積極的に支持してくれなかったら、臆病で傲慢は私はまだ批評を書かずにいたかも知れない。つまり私は偶然のいたずらで批評家を職業とするようになったのである。「文学と私」

山川方夫と私」では、次のような文章がある。「…私は憤怒をかかえ、曲がる背筋を無理にのばして生きている。生きることに意味があるから生きているのではない。意地で人が生きられることを自分に納得させるために生きているのだ。だから君も頑張って生きてくれ。こう私は山川にいいつづけて来た。それなのにその山川が突然死んだ」(コレクション2:542−543)。

…私はまだ当分、意地を張ってみるつもりだ。君がいなくなってからいろいろなことがおこり、私の確信はますます強まらざるを得ない。つまり、生きるにあたいするのから生きるのではない。なにものかへの義務のために生きるのだ、という確信が。そのなにものかとは、なんだろう?山川、それを私に教えてくれないか。今、君こそそれがなんであるかを知っているはずだから。(543−544)

「生きるにあたいするのから生きるのではない。なにものかへの義務のために生きるのだ、という確信」。しかし前者の「確信」はともかくとして、後者の「確信」は、「確信」というにはあまりにも脆いものでしかなかったことが、その後の江藤の運命から窺い知れるのは、たいへん痛ましい。