勅使河原宏『砂の女』(1964)

(147分・35mm・白黒)昆虫採集のためにやって来た砂地で民家に軟禁状態になり、もがく人間像を描いた安部公房の名作に勅使河原が挑んだ一篇。幅広く、そして力強い演技で高く評価された岸田今日子は本作では、殺気立った様子で男を逃すまいとする女を熱演した。
’64(勅使河原プロ)(出)岸田今日子(女)(監)勅使河原宏(原)(脚)安部公房(撮)瀬川浩(美)平川透徹山崎正男(音)武満徹(出)岡田英次、三井弘次、伊藤弘子、矢野宣、関口銀三、市原清彦

難解な哲学性がベースだが、娯楽性を両立していて、素晴らしい。蟻地獄のような穴にはまった男が、砂まみれになりながら、社会的な記号性を剥奪されていく。砂を掃除するのが大変だという男に対して、「砂があるから皆がかまってくれる」と岸田今日子は答える。穴の外の社会だって、次々と押し寄せる砂をせっせと掃除するようにして、日々営まれているようなものだ。
このように「社会なんて相対的なもの」という感覚に貫かれている本作品であるが、この相対性をめぐる物語上の処理については、疑問も残った。穴の中の生活だってひとつの社会なわけで、社会が相対的だと自覚したときに、人はどのようにして社会に向き合うことになるのか?――この問いが続くはずだが、ニヒリズムとか実存主義とかのベタな着地を超えて、いかなる回答がありうるのかは、この作品では十分考えられていないと思う。「ポストモダン風の脱構築」というだけでは、もはや「現代」思想とは言えないように感じる。