どうも最近、うなされているような気がする。他人から叱責されているような夢(想像?)を見ているような気がする。
新田義弘『哲学の歴史』(講談社現代新書)はなかなかの好著だと今にして思った。ギリシャ的伝統とヘブライ的伝統。

・・・・・・世界の存在の根拠を改めて問う意識には、問うもの自身の存在の根拠をともに問うような意識が、必然的に伴ってくる・・・・・・。世界の外にある根拠は、その根拠を問うものにとっても真の根拠である。そういう意味での「世界の外」は、ギリシャの哲学者のいうイデアとか「思惟の思惟としての神」とは、まったくその次元を異にするものであろう。/それにもかかわらず、今日の形而上学批判(ニーチェハイデガーに見られる形而上学批判はともにそうである)は、この二つの思惟形態(ギリシャ的思惟とキリスト教的思想)を一緒にして「根拠への思惟」として批判する。それは、特定の根拠から全体を解釈するという思惟の構造のうえでは両者が共通しているからであるが、世界全体の根拠を世界の外に求めるかどうかという点では、この二つの思惟の形態は根本的に区別されねばなるまい。(44)

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