ミロス・フォアマン『宮廷画家ゴヤは見た』(2006)

GOYA'S GHOSTS 1時間54分 出演 ハビエル・バルデムナタリー・ポートマンステラン・スカルスガルド http://goya-mita.com/
内外の動乱に揺れる19世紀初頭のスペイン。宮廷画家ゴヤは、美しい商人の娘と威厳に満ちた神父の肖像画を描いたが、その両者は数奇な運命を辿ることに……常に人間の真の姿を見極めようとしたゴヤの目を借りてフォアマン監督が描き出した人間の真実と愛の本質!!(GH)

ハビエル・バルデムって、けっこうすごい役者なんじゃないかと思った。めちゃくちゃエロいヘンタイ神父を演じているのだが、『コレラの時代の愛』と同様、この変態ぶりはあまりにリアル過ぎる。異端審問のためにナタリー・ポートマンが裸で監禁されているのだが、彼女のお尻をなでまわすシーンが、いわゆるひとつの萌えだった。
ナタリー・ポートマン一人二役をこなすなど、よく頑張っていた(笑)。15年間監禁された狂女役を力演していたが、どうせなら可愛らしい姿をもう少し長く見たかった。
ゴヤは育ちのよい天然キャラだったのが、たまたま大変な時代に遭遇してしまった、という感じで描かれている。近代とは、要するに大混乱であって、いやはや大変なことである。精神病者の収容所が出てきた。

酔っぱらっているのでうまく頭が働かないのだが、jtmさんからコメントをいただいたので、「難関男子校」である母校について、ちょっとだけ書きます。
昨日も話題になったのだが、わが母校は偏差値が高くて、それがどのくらいかというと、私が高3だったときのセンター試験の校内平均点が、たしか710点近く(800点満点)で、易化つったってそれはないだろうという感じの、勉強サイボーグ集団だったわけですが、ところが「高偏差値のわりに、出身階層の文化的水準が意外と低かったのでは?」と昨日問いかけてみたところ、これがそれなりに周りの同意を得たのですが、大学に入ってから黒沢清を知る(skmt君)といった感がなくもなく、東京の学校だとたぶん雰囲気が違うんだろうと思います。
地域性が一番関係していると思いますが、IQに基づく選抜を厳格化しすぎて、出身階層というファクターを飛び越えちゃった可能性もあるかもしれない、とも思ったりもしますが、やっぱりただの田舎モノ集団だった可能性が一番高いかな。関西の根強い反知性主義というのもある。
酔っぱらっていて、うまく書けませんが。

『ばかもの』の感想

「「ばかもの」の魅力は圧倒的なものです。しばらく何も出来ない、話すどころか考える事も出来ないほどの感慨に浸りました。人間の美しさを描いて、ここまで説得力のある小説はないでしょう。」(文芸評論家 福田和也氏)
すごい激賞ぶり。
最初はポルノ小説だと思って読んでいたのだが、途中からアル中小説になって、なるほどアル中とはこれほど凄まじいものかと、迫力に圧倒された。文章も素晴らしい。
しかし私はどうも「内省の浅い主人公」というのが苦手で、主人公ヒデのようにあまり深く考えずに泥沼にはまり込んでいく人間をみると、こんなものかなとは思いつつも、ちょっと醒めてみてしまう。まあ、そんなものかな、とは思うんだけどね。早漏の描写とか、年の差カップルの描写とか、細かい所で引っかかる部分もあった。
まあでもアル中の絶望感、荒んだ感じはやっぱり素晴らしかった。心臓が早鐘のように鳴りだしたらマズいわなと共感。

ばかもの

ばかもの

プチ同窓会@上野。H氏、shou氏、skmt氏、新機軸のzima氏。
zima氏はいつも私をボケ役にあてがうので、文学部出身者同士のサロン的会話において、わたしが決してボケ役にとどまらないこと、ただ単に面倒くさいキャラではないことを見せつけようという個人的狙いがあったのだが、その狙いについて説明した途端、いやいやオマエは十分面倒キャラだから、と味方であるはずの文学部出身者たちから一挙に寝返りを受けた。本能寺の変織田信長のような気持ち。このきんかんヤロウ。
みなさん異動(という名の出世)などいろいろあるようで、同窓生の近況(結婚話)とか、H氏のキミー遭遇噺とか、とりとめのない話を楽しむ。「編集者的に、この不人気ブログはどうやったら改善できると思う?」とskmt君に無茶ブリしてみたところ、優雅に笑ってスルーされた。一応、自分およびこのブログに対するポジティブな評言としては、「何ともいえない味わい」という言葉を辛うじて引き出す。まあ読書ブログとしても失敗、映画ブログとしても中途半端、同窓生のあいだでのささやかなネタ作りに一役買ってくれれば、それで満足です*1。ひとりmixi

*1:もうすぐ閉鎖するけど

週刊誌の大学入試情報をチェック。母校の関東志向はどうやら高まっている様子。タイガース人気が全国区になったのは、関西の地盤沈下と相即的だった、と井上章一が指摘していた記憶があるが、東京一極集中の波には逆らえないということだろう。
本屋で子ども向けのオバマの伝記を見つけて、なんか面白かった。大とうりょう戦ではこの人とも戦いました、というふうな感じでペイリンの写真とかが載っていて、子どもに読ませるにはきな臭すぎるのでは、と心配になった。

オバマ Yes We Can!

オバマ Yes We Can!

クリント・イーストウッド『チェンジリング』(2008)

Changeling 製作総指揮 ティム・ムーア、ジム・ウィテカー 製作 クリント・イーストウッドブライアン・グレイザーロン・ハワードロバート・ロレンツ 脚本 J・マイケル・ストラジンスキー 出演者 アンジェリーナ・ジョリージョン・マルコヴィッチ(グスタヴ・ブリーグレブ牧師)、ジェフリー・ドノヴァン(J・J・ジョーンズ警部)、ジェイソン・バトラー・ハーナー(ゴードン・ノースコット)、エイミー・ライアン(キャロル・デクスター) 撮影 トム・スターン 編集 ジョエル・コックス、ゲイリー・ローチ
1928年のロサンゼルス。電話会社に勤務するシングルマザーのクリスティンは、失踪した息子ウォルターを捜索するため、警察に捜査を依頼する。しかし警察が見つけ出した子供はウォルターとは別人だった。クリスティンは次第に陰謀の渦へと巻き込まれていく。

〈ネタバレが嫌な人は注意。たぶん問題ないけど。〉
チェンジリングは「取り替え子」という意味で、子供が拉致されたアンジェリーナ・ジョリーのもとに全然別の子どもがやってくる。家の中までズカズカと入ってきて、普通にモノを食いはじめたり、風呂に入ったりするのだが、さすがのアンジェリーナ・ジョリーもブチ切れて、“Who are you?Who are you?”と二度叫んでみるのだが、子どもは恐ろしいくらいに平然としたままで、「おまえ誰やねん?どこから来た子どもやねん?」と私も心の中で突っ込まざるを得なかった。あまりに不気味すぎる。身長、縮んでるし。
とはいえ、冷静に考えれば荒唐無稽であるにもかかわらず、「ケーサツは無茶苦茶やりよるわ」と納得できるように作ってあるのは、さすがだった。組織が個人を踏みにじっていくやり方、精神病院でのめちゃくちゃな人権無視には、正直背筋が凍る思いがした。
不条理の只中にあって歯を食いしばるのが人間だ!というクリント・イーストウッドの気合いが伝わる傑作であるが、善玉ではあるがほとんど狂信的な感じもする長老派教会の牧師、人を苦しめることではじめて実存が満たされる殺人鬼(死刑前日になってなお、彼はアンジェリーナ・ジョリーを死ぬまで苦しめる言動を選ぶのである)など、一筋縄ではいかない逆説的な魅力のある登場人物がすばらしかった。白色の密度が濃い端正な画調、アンジェリーナ・ジョリーの古風なメイク、昔の町並みなども、非常に見応えがあった。