毎日新聞記事

植木等さん死去:高度成長を体現 したたかサラリーマン像
「お呼びでない? こりゃまた失礼いたしました」「わかっちゃいるけど、やめられない」。27日、惜しまれながら亡くなった植木等さん。高度経済成長下の管理社会でのサラリーマンのしたたかな生き方を歌やギャグで強烈に表現。熟年になって、別の味わい深い顔も見せた幅広い人生だった。
娯楽の主役がテレビへ移行する時、ジャズマン集団、ハナ肇とクレージーキャッツは新しいメディア、テレビに向かう所属の渡辺プロ(現ワタナベエンターテインメント)の戦略と共にテレビタレントに衣替え。時はまさにサラリーマンが主役の高度成長期。クレージーキャッツは小さな組織としてテレビで大暴れ。大衆をつかみ、映画やショーにも進出した。
中でも中心となるフロントマンの植木さんは、放送作家だった故青島幸男さんが設定した「組織は好きではない、でも、組織がなければ生きられない。できれば適当に生きていきたい」というサラリーマン像を体現、絶大な支持を得た。
東洋大学予科に入った植木さんは北海道で終戦を迎えた。「10月になっても、帰っていいという通知が来なくて。『われわれ文科系は必要ないと国がみなしている』といううわさが立ちました。あとでデタラメと分かったんですけど」。結局、世の中で当てにできるものはない。こんな体験が後の「無責任男」の圧倒的なパワーにつながったのか。
過労のため肝炎で倒れ、転機が訪れる。「僕自身、無責任男シリーズに疲れていて。入院して離れることができて、ほっとした面もありました」という。クレージーキャッツ全員そろっての舞台は79年が最後だった。実は酒もたばこもたしなまないきまじめな人。実像と虚像の落差を楽しんでいたのかもしれない。
クレージーキャッツのメンバーも植木さんの入院先をたびたび訪れていた。桜井センリさんは3月12日、谷啓さんは17日の面会が最後の別れとなった。亡くなる2日前の25日には、犬塚弘さんが病室を訪れていた。植木さんの所属プロダクションによると、メンバーはみんな「現在コメントを出せるような状態ではない」という。
▽お笑い評論家・西条昇さんの話 植木さんが「無責任シリーズ」で演じた平均(たいら・ひとし)は、会社からクビだと言われても道を踊り歩き、上司には「堅いこと抜きで行きましょう」と、普通のサラリーマンではできないことを演じてくれた。日本の喜劇人は、たとえば渥美清さんのように「涙あり笑いあり」という人が多いが、植木さんはドライでモダンで決して下品にならない笑いを見せてくれた。
▽映画「無責任」シリーズなどを監督した坪島孝さんの話 普段は礼儀正しく、自分の役柄を研究してくるまじめな人だったが、ひとたびカメラの前に立つと思い切りはじけた。現場でギャグや動きのアイデアも豊富だった。撮影準備中にも居眠りするほどの超多忙なスケジュールでも、セリフをトチることはほとんどなかった。高度成長時代とも重なり大スターとなった、百年に一人の逸材だった。
▽植木さんと親交のあった作家、小林信彦さんの話 ご本人はまじめな苦労人ですが、いったんライトを浴びるとすごくおかしくてインチキで怪しい人物になった。そこが魅力で生の舞台が一番すごかった。「無責任」シリーズは、努力すれば勝つというそれまでのサラリーマン映画を180度ひっくり返した。自分のことしか考えないサラリーマンを演じ、高度成長にさしかかる時代に登場したので受けたのです。
▽歌手の奥村チヨさんの話 同じ事務所だったので、10代の終わりごろテレビでいつもご一緒してました。植木さんは、テレビで見る通りの自然体の方で、こんなに明るく楽しく仕事ができる人がいるのかと、驚き、あこがれました。「チヨ、僕らは夢を売る仕事だよ。夢が売れなくなったらおしまいだ」といつも言っておられ、私は今もその言葉に従って努力するようにしてます。芸能人というより人間味と愛情あふれる人生の先輩という方でした。
毎日新聞 2007年3月27日 21時23分 (最終更新時間 3月28日 0時10分)