ずっと不振だったイチローの劇的な決勝タイムリーで、侍JAPANWBC優勝。シャンパンファイトの様子を見ていると、やっぱり体育会系っていいよなぁ、と素直に思う。
自分も体育会系的メンタリティーを持っているつもりなのだが(いちおう本気)、それを前面に押し出していくなら、横浜の村田はムリなので、岩村みたいな感じを目指せばいいと思う。日焼けして、金のネックレス。
小沢イチローは涙の続投宣言。こういう演技も必要だと思うが、鳩山由紀夫がもらい泣きする姿に、さすがに萎えた。

世界の歴史〈17〉ヨーロッパ近世の開花 (中公文庫)

世界の歴史〈17〉ヨーロッパ近世の開花 (中公文庫)

大久保桂子さんの担当章がものすごく素晴らしい。にしても、近世ヨーロッパは難しい。従来の図式が次々と修正されていったあとで、結局どうなの?というところがある。

篠山紀信のメモ

美術手帖』(4月号)のヌード写真を眺めていて気づいたのだが、篠山紀信というのは偉大な写真家であるらしい。

会田(誠) ……でも篠山さんは、エロティックな部分を強調しつつ、とても健康的でもありますよね。ヌード写真をまとめて見せていただいていると、どれも健康への賛歌という気がしてくる。
篠山 それはインタビューしてくれた斎藤環さんにも言われたね。こんな健康な人のこと、誰も論じようとしないって。不健康だから分析の対象として面白いわけなんだっていう。(67)

篠山紀信は健康すぎて評論の対象にするのが困難、と皆が判で押したように指摘している。椹木野衣も同様の指摘(「イメージによるクラスター爆弾 終着の浜辺で、そのとき写真は……。」)。

……批評は、原理的に自己言及性を持つ。つまり、近代以後の作品に生じた自己意識が批評という営みなのだ。それが分業すれば作家と批評家となるが、それは職業的なものでしかなく、近代的な作家はかならず批評家としての側面を持つ。これは批評家も同様で、近代的な批評家はいずれ、批評する無根拠に晒されて創作に介入せざるをえない。この循環(批評するわたし=わたしが批評する)には、かつての神のような外部からの身分保障が永久にないから、ほっておけば急速に閉塞し、精神そのものを破壊する。作家であれば制作ができなくなり、批評家であれば精神に異常を来す。

中平〔卓馬〕はある意味、この〔循環の原理との〕通底を絶え間なく露呈させるような写真家だったし、だからこそ真の意味で批評的=臨界的だった。問題は意識の自己言及性が往々にして自己否定・自己解体の回路に入り込むことだ。中平も同様に写真への意識の介入を断つために非人称的な「図鑑」を志向するようになる。しかし注意すべきなのは、意識を排そうとするこの志向性自体が、実際にはさらに強固な意識の産物だということだ。……(80)

「ところが、最初から意識の志向性など介在していない篠山のような写真では、実は「図鑑」的なものはとうに実現されている。中平が気づいてしまったのは、そのことだった。」「…図鑑という理念で中平が自己・批評的に実現しようと考えた写真の絶対零度を、篠山は資本主義の圧倒的な速度と消費の渦中に乗ることで、いともたやすく実現してしまった。」

リリー・フランキーみうらじゅんの対談(「グラビアン魂」BT出張版)。

L 撮影現場で篠山さんは、すごくいやらしい目で被写体を見てるんでしょうけど、出来上がった写真は違う。とてもかわいらしくて、女の子への幻想を男に抱かせる写真なんですよ。だから、オレたちの世代はみんな篠山さんに童貞をこじらせられましたよ。子犬が最初に食ったものを好きになるように、篠山さんの写真は絶対に否定できずにきましたもん。実は淫乱な女がほとんどだと気づくまで、その頃から30年かかりましたからね(笑)。(91)

みうらじゅんが好きだったという栗田ひろみの写真が載っていて、とてもかわいらしい。『Santa Fe』の宮沢りえ

M オレらの後の世代の少年たちは、宮沢りえで童貞をこじらせたんだろうね、きっと。これ、童貞をこじらす度ナンバーワンだよ。だって、「えっー、あの子が脱いだんだ!!」って驚きがあるからね。まるで秘仏開帳みたいなもんだよ(笑)。(92)

私の世代がそのものズバリなわけだが、これは違うのではないか。たしかに衝撃的なのは衝撃的だったが、むしろ『Santa Fe』以降、「女の子への幻想」は世の中からどんどん失われる方向に向かっていたと思われる。
とはいえ、自分たちの世代は「女の子への幻想」によって「童貞をこじらせる」ことのできる、最後の世代だったかもしれない。オタクO君のように「だって女が一番良いとはかぎらないでしょう」という発想は、わたしには存在しないのである(その意味でこの発言は味わい深いのである)。
今の男の子たちは童貞をこじらせずに、そのまま草食男子に移行するんじゃないかな。

リチャード・ラグラヴェネーズ『P.S.アイラヴユー』(2007)

P.S.I LOVE YOU 2時間6分 出演:ヒラリー・スワンクジェラルド・バトラーキャシー・ベイツ http://www.psiloveyou.jp/
「まだ“さよなら”は言えないんだ」余命半年と宣告された夫が、妻へ遺した10通のラブレター。原作は世界40ヵ国以上でベストセラーとなった、絶望に打ちひしがれた妻を再生させる“持続する愛”についてのラブストーリー!!

長かったので居眠り。30歳の既婚女性。頭が足りないがかわいい。無駄にセクシーなイカれた女友達がおもしろい。ニューヨークとアイルランド


津村記久子『ポトスライムの舟』

舞台は奈良。のっぺりした郊外都市には違いないのだが、ちょっと歩けば興福寺の国宝館で阿修羅像を拝むこともできるという、何ともいえない自足感が作品世界にマッチしている。主人公は30歳くらいの工場勤めの女性。日常には息が詰まるし、将来も見えないが、ディプレッシヴな生活をちまちま刻んでいくなかにもしかすると何かがあるかもしれない、という控えめな希望の抱き方がリアルに感じられた。恵那ちゃんのキャラがやや不明瞭だが、ナガセの地味さはとても気に入った(そよ乃、りつ子らとの対照もよい)。

たぶん自分は先週、こみ上げるように働きたくなくなったのだろうと他人事のように思う。工場の給料日があった。弁当を食べながら、いつも通りの薄給の明細を見て、おかしくなってしまったようだ。『時間を金で売っているような気がする』というフレーズを思いついたが最後、体が動かなくなった。働く自分自身ではなく、自分を契約社員として雇っている会社にでもなく、生きていること自体に吐き気がしてくる。時間を売って得た金で、食べ物や電気やガスなどのエネルギーを細々と買い、なんとか生き長らえているという自分の生の頼りなさに。それを続けなければいけないということに。

ポトスライムの舟

ポトスライムの舟

日常

池袋でタンタンを見送る会。終始エロ話。
テンガというグッズがあるらしくて、これは女より全然いいというので、女よりいいの?と尋ねてみると、だって女が一番いいとは限らないでしょう、とオタクO君。相変わらず発言が味わい深い。コンクリート使うのは危険。
ツンデレブームの後、いまは女騎士凌辱系がきているとかで、タンタンとオタクO君は宗教騎士団の萌え系アニメを考えているらしい。ウンベルト・エーロで題名は?
オタクO君はブルマ、スク水趣味を卒業。最初スクール水着のDVDコレクションを見たときには度肝を抜かれたものだ。あれも今は昔か、と感慨がよぎる。今はホットパンツが良いらしい。

エルフェンリート

最寄り駅前のアーケードには、週3回ほどニセ浜田省吾浜田省吾のコスプレをして浜田省吾の歌を歌っている)が出没し、私に向かって、信じられないほど下手くそな歌を歌いかけてくる。ああ、これは耐えられない、と思いつつも、自己満足なんてそんなもんだよな、考えてみれば自分のブログだってその種の自己満足だよな、と私はいつも反省していたのだが、そんなニセ浜田省吾ブログにも、ここ数日いくつかの反応を寄せてもらうことがあり、私としてはセルフエスティームの感情が少し回復された気がしている(笑)。明日、ニセ浜田省吾を見つけたら、少しだけ足を止めてあげようと思う(ウソ)。
今日読んでいた本に面白いデータがあった。「親大卒→本人非大卒(13.0%)」「親大卒→本人大卒(26.4%)」「親非大卒→本人非大卒(37.5%)」「親非大卒→本人大卒(23.2%)」(05、本人20代)。「親大卒→本人非大卒(13.0%)」というのは、なかなかの数字だと思う。