『NO DIRECTION HOME』

NHKのページより、引用。

アメリカを代表する映画監督の一人、マーティン・スコセッシによるボブ・ディラン初の長編ドキュメンタリー自伝映画『ボブ・ディラン:No Direction Home』。アメリカを代表するシンガー・ソングライターボブ・ディランの1961〜1966年の人生と音楽に焦点を当てたこの映画は、ディラン本人のインタビューを中心に、未公開映像や未公開音源、同世代を生きた人々の証言、当時の社会背景など、貴重な映像でつづられる作品だ。
 プロのミュージシャンになるという夢をかなえ、アーティストとしての地位を確立するまでの1961〜1966年は、ボブ・ディランを語るうえで最も重要な時期。故郷ミネソタ州ヒビングを旅立ち、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに至るまでのストーリーについても、ディラン本人の口から率直に多くが語られている。そして彼は、大きく揺れるアメリカ社会の中、若者の代弁者として、当時の音楽シーンとカルチャーの中心になっていった。
 今回、この映画に収録された貴重な映像の中には、マレー・ラーナー監督によるドキュメンタリー映画『ニューポート・フォーク・フェスティバル』(1963〜1965年に開催)からのパフォーマンス映像や、D・A・ペネベイカー監督によるディランのドキュメンタリー映画『ドント・ルック・バック』(1965年の全英ツアーを撮影)からの未公開映像が含まれた。そして、当時ディランにかかわった人々ばかりでなく、世界中のファンも貴重な映像や音源、写真などの資料を提供。ディランと共に時代を生きた、ピート・シーガージョーン・バエズ、マリア・マルダー、アル・クーパーといったミュージシャンや、ビートニク詩人のアレン・ギンズバーグ、恋人のスーズ・ロトロなどのインタビューも使用されている。

なお、題名は、『Like a Rolling Stone』の次の歌詞から取られたもの。

How does it feel? How does it feel? To be on your own. With no direction home. Like a complete unknown. Like a rolling stone.

文句なしの秀作。ボブ・ディランがフォークからロックに移行したとき、喧喧囂囂の非難が湧き起こったというのはよく知られた事実である。本作はそれに焦点を当て、ディランの意識と、1960年代のアメリカ社会について迫っている。
プロテストソングとしてのフォークソング/商業主義としてのロック。この二分法に基づいて、ディランのロック「転身」は批判された。社会はディランに、プロテストソングのカリスマたることを期待した。しかし、それはなぜだったのか。
1960年代に入ったアメリカ社会は、キューバ革命などを受け、冷戦体制の激化の問題に直面していた。黒人の公民権運動も盛り上がりを見せた。既存の社会秩序の再生が熱っぽく語られた。「社会の再生」という課題が定まることで、若者/年寄りという世代対立の構図も生まれていた。
そして、若者世代の社会変革の意志は、フォークという象徴を得ることになった。そこに、カリスマ的影響力をもって登場したのがディランである。
このとき重要なのは、次の事実だ。カリスマは個人に宿るのではない。カリスマ的個人を生み出すのは、社会なのである。
1960年代のアメリカ社会は変革を欲望していた。ディランをカリスマ化させたのは、その欲望である。しかし、なぜ、ディランだったのだろう。ディランが社会の外部に位置する特異的個人であったこと、それが理由だろう。
映画を見て分かるのは、ディランが徹底的に個人主義的な人間だったことである。他者より自分、自分が未知なるものといかにして巡り合うか、にしか興味がない人間だった。
ディランは、あくまで自己から出発して、世界を歌った。自分にとってリアルな世界を、自分が納得できるかたちでのみ、歌っていた。それは、社会の相対化の契機を孕むものだった。世界が問われるとき、それは自分にとって意味ある「世界」でしかなかったからだ。社会がディランをカリスマ化したのは、そうした相対化の可能性の存在ゆえだったといえる。
繰り返そう。ディランがカリスマ化したのは、ディランの欲望ではなく、社会の欲望だった。そこに、社会とディランのすれ違いの根本原因があったといえる。ディランは、自分が未知なるものにめぐり合うため、ロックを選んだ。社会は、フォーク=プロテストをそのままディランに負わせようと、彼を非難した。社会自身の勝手な理由によって、彼の振舞いは評価が左右されたといえる。
自己の格率に従い行動するディランにとって、このような他人指向型社会は、自らとは相容れない性質のものと映ったにちがいない。それは、ディランをいっそう自己に沈潜させる方向に導いたようである。「Like a rolling stone」という曲は、そうした意識のなかで生まれた曲だ。そこでのディランの批判は、「自己の内的基準に従って生きる不安から逃避すること」へと向けられる。たしかに、変革を欲望する社会は、そうした不安を受け入れることを決意する社会であったはずなのだ。原理的には…*1
自己に沈潜したあげく、「個人のカリスマ化=システム変革に伴う不安除去」の図式を指摘しえたディランは、自己完結することがかえって普遍性へと開かれるという逆説を示した点で、やはり希有な特異的個人であったと思う*2

追憶のハイウェイ61

追憶のハイウェイ61

*1:カリスマの日常化。その世界観に起因するディランの実存不安は、アメリカの社会不安とシンクロし、彼はカリスマ化した。しかし、世界と個人の関係を原理的に問いなおし続けていくことは、社会にとって負担が大きい。ましてや、社会変革が大衆的基盤を獲得すればするほど、そうした原理的省察は不可能になっていくだろう。それゆえ社会変革のビジョンは、いまや安定化を志向する。システムが安定化を志向しているのに、それに気づかず「陳腐化した世界変革の図式」を主張しつづけること、これがディラン批判のなかで行なわれたことだった。

*2:重要だと思われるのは、ディランにラブソングがほとんどないことである。これは、ラブソングにラディカルな意味を込めたジョン・レノンと対照的である。おそらくディランは、「内面心理への沈潜を通じた世界の普遍性の獲得」の方向をとった。レノンは、「自己−他者関係の『愛』をキーワードとする原理的問い直し、それを通じた世界の普遍性の獲得」をめざした。