白川静、吉本隆明

平凡社PR誌『月刊百科』2007年1月号を読む。昨年十月三十日に逝去された、白川静の追悼特集。津崎史「私の中の父」の中に凄味のあるエピソードが紹介されている。

亡くなる数日前に幻覚症状があらわれました。天井の模様が原稿に見えるというのです。活字があって、ところどころに甲骨文字が見える。何が書いてあるのか――と、一生懸命見つめていました。……

ちょっと感動的ですらある。「人名字解」はいつか入手しなければならない。
あと、鹿島茂吉本隆明1968 ①吉本隆明はなぜ偉いのか?」では、小林多喜二『党生活者』(1961年5月初出)をめぐって勃発した「ハウスキーバー論争」を、吉本がどのようにぶった斬ったのかが紹介されていて、興味深い。共産党員の「私」が官憲の眼をくらますために「笠原」をハウスキーバーにして経済的な援助を受けていたところ、「笠原」が恋愛生活の不満のようなものを漏らしたり、カフェーの女給になるのに激昂したりして、どうも気に入らない、こいつは、革命のための自己犠牲というものが、まったくわかっておらん、というような話で、これを『近代文学』の平野謙荒正人らは「非人間的、エゴイスティック」と批判し、党員文学者の中野重治宮本顕治、あるいは小田切秀雄らは「擁護できる」と肯定した。でも、こんな人間蔑視なんて特別な話でもなんでもないし、またその程度の摩擦をまともに対処できない「私」を美化できるはずもない、おまえら、大衆の生活(大衆の原像)からまったく遊離してるじゃん、と吉本は批判したわけである。
戦中派は無教養だから捨て身の批判を繰り広げた(教養への反発)、とイジワルな見方をするのは小熊センセイだけど、まあここでの吉本の「生活」からする批判は、鋭いものを含んでいる。しかし、生活と遊離しない、それと密着した思想のあり方、個人のあり方、これを吉本はどのように理論化していったのか、正当化していったのか、というのが、次に問われる問題になるはずだ。「大衆に密着する」というだけでは、俗物主義の肯定を招くことだってありうる。これを吉本はどう考えたのか?ここがポイントだ。
(なお私自身の考えでは、マルクス主義運動は、超越的真理によって他律化されている時点で、実はブルジョワイデオロギーと共振しており、そこで理念化されているのはせいぜい「他律化を経由した自律」(disciplinaryな自己)にすぎない、その問題は「ハウスキーパー」問題にも如実に現れており、それを超えていくための哲学的筋道こそ見いだされねばならない、ということになる。)